
時は明治、薩摩笠沙の「黒瀬」という集落から焼酎造りの技を所得するため琉球に渡った男たちがいました。
その黒瀬から技を得た男たちが、季節になると、九州一円の酒造場に出かけ杜氏として腕を振るったと云われます。
彼らは「黒瀬杜氏」と呼ばれ、焼酎造りの一切をまかされてました。
機械化が進んだ現在、杜氏たちの経験に頼る手作り焼酎は減りつつあります。
その本流の焼酎造りの技を、体で覚えている数少ない杜氏がこの「黒瀬安光」杜氏なのです。
「黒瀬安光」杜氏は、他の蔵の杜氏が焼酎造りにいきづまったとき、困った時には快く相談を受けるなど、多くの杜氏から慕われ、「杜氏の中の杜氏」と呼ばれています。